【変幻自在の建築家】グンナール・アスプルンド:北欧近代建築の巨星とその影響力

グンナール・アスプルンド Asplund 建築家

スウェーデンを代表する建築家、グンナール・アスプルンドについてご紹介します。彼の生涯、代表作、そして建築の特徴について、驚異的な建築の世界に迫ります。

生涯

グンナール・アスプルンドは1885年にストックホルムで生まれました。若い頃、画家としての道を志願しましたが、父親と絵の教師の反対により、建築家としての道を選びました。彼はストックホルムの王立工科大学で建築を学び、その後、王立芸術大学に進学しましたが、保守的な教育に反発して中退しました。仲間とともに私設学校「クララ・スクール」を設立し、当時の北欧の一流建築家たちから指導を受けました。

1913年から1914年にかけてイタリアに見学旅行に行き、古典建築やルネサンス建築に触れました。この経験が後の彼の作品に影響を与えました。

帰国後、友人のシーグルド・レヴェレンツと共同で応募した1915年の「ストックホルム南墓地国際コンペ」で1等を獲得し、一躍有名になりました。このコンペで設計した「森の墓地」は自然と調和した美しい景観と、人間の心理や物事の本質を見据えたコンセプトで、1994年に世界遺産に登録されました。

その後、北欧諸国で主流となった北欧新古典主義の建築運動に参加し、1920年の「森の礼拝堂」や1923年の「スカンディア・シネマ」、1928年の「ストックホルム市立図書館」など、前半生の代表作を次々と作りました。特に市立図書館は円形の中央ホールと四角い外観との対比や、色彩や光の効果などで、空間の演出に優れた作品です。

1930年に開催された「ストックホルム博覧会」では、主任建築家に任命され、鉄とガラスを大胆に用いた近代建築によるパビリオン群を設計しました。この博覧会は、北欧諸国が一気に近代建築の時代を迎えた契機となりました。

1931年には、母校である王立工科大学建築学科の教授に就任し、若い建築家たちに影響を与えました。

1930年代には、「イェーテボリ裁判所増築」や「夏の家」などの代表作を作りました。特に裁判所増築は、新古典主義と近代建築の融合という、彼の晩年のスタイルを象徴する作品です。

1940年に竣工した「森の火葬場」は、「森の墓地」における一連の施設の最後の作品で、彼にとっても人生で最後の作品となりました。この作品は、簡素ながらも荘厳な空間と、光と影のコントラストによって、死と再生のテーマを表現しています。

代表作

  1. 森の墓地(1915-1940):ストックホルムにある共同墓地で、自然と調和した美しい景観と、人間の心理や物事の本質を見据えたコンセプトで、世界遺産に登録されました。

  1. ストックホルム市立図書館(1921-1928):ストックホルムにある公共図書館で、円形の中央ホールと四角い外観との対比や、色彩や光の効果などで、空間の演出に優れた作品です。

>>ストックホルム市立図書館については別記事で詳しく紹介しています。

  1. ストックホルム博覧会(1930):ストックホルムで開催された博覧会で、主任建築家として鉄とガラスを大胆に用いた近代建築によるパビリオン群を設計しました。

  1. イェーテボリ裁判所増築(1934-1937):イェーテボリにある裁判所の増築で、新古典主義と近代建築の融合という、彼の晩年のスタイルを象徴する作品です。

  1. 森の火葬場(1935-1940):ストックホルムにある「森の墓地」における一連の施設の最後の作品で、彼にとっても人生で最後の作品となりました。レヴェレンツとの共同で設計されています。この作品は、簡素ながらも荘厳な空間と、光と影のコントラストによって、死と再生のテーマを表現しています。

  >>レヴェレンツについては別記事で紹介しています。

建築の特徴

グンナール・アスプルンドの建築の特徴は、時代を超越したオリジナリティ、人間性と社会性への配慮、そして自然との調和と環境への配慮に見られます。彼の作品は古典的な要素と近代的な要素を見事に調和させ、人間の生活や感情に訴えかけるものとなっています。また、自然との一体感を追求し、環境にも敬意を払う姿勢は、彼の建築の独自性を際立たせています。

まとめ

グンナール・アスプルンドは、北欧近代建築の巨星であり、彼の作品は今もなお多くの建築家と建築ファンに感動と教訓を提供し続けています。彼の建築の魅力を体験するために、スウェーデンへの旅行を検討してみてはいかがでしょうか。アスプルンドの建築は、驚異的な世界を展開しており、その魅力に触れることは建築愛好者にとって不可欠です。

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