近代建築の巨匠、ミース・ファンデルローエは鉄骨とガラスを匠に使い洗練された建築を世に生み出してきました。本記事ではミース・ファンデルローエの生涯と代表作を簡単に説明していきます。
生涯
ミース・ファンデルローエは1886年3月27日にドイツ帝国のアーヘンで生まれました。彼は石工の家系に生まれ、正式な建築教育を受けずに製図工としての教育を受け、その後建築家としてのキャリアをスタートさせました。初期の仕事は1907年に手がけたリール邸であり、これが彼の才能を認めさせ、ペーター・ベーレンスの事務所で働く機会をもたらしました。さらに、彼はバウハウスの校長として活動し、1930年にはナチスの圧力からアメリカに亡命しました。アメリカではイリノイ工科大学で教鞭をとり、多くの建築家を育成しました。彼は1969年8月17日にシカゴで亡くなりました。
人柄
ミース・ファン・デル・ローエは自身の作品に厳しく、細部にまでこだわりを持っていました。彼の残した「Less is more(少ないほうが豊かである)」「God is in the details(神は細部に宿る)」という言葉にもその信念は表れています。その強い意志が時にはトラブルに発展することもありましたが、自らの信念を貫く姿勢が彼の魅力の一端となっています。
鉄とガラスのそぎ落とされたデザインを生み出していたミースですが、自身はヴィクトリアン様式の建売住宅に住み続け、葉巻とマティーニを手放さなかったコンサバ系おじさん。日本にも普通のマンションに住んでいるRC打ち放しでお馴染みの有名建築家がいましたが、やっぱり他人の家と自分の家は違うってことなんでしょうか……。
代表作
ミース・ファン・デル・ローエの代表作 彼は多くの驚異的な傑作を残しましたが、以下ではその中から3つを紹介します。
- バルセロナ・パビリオン: バルセロナ・パビリオンは、1929年にスペインのバルセロナで開催された万国博覧会のために建てられたドイツ館で、鉄とガラスで構成されたシンプルな箱型の建物です。高級素材で飾られた壁や水と光の効果を駆使し、モダニズム建築の空間構成と素材感覚を示す傑作として名高いです。バルセロナ・パビリオンのデザインから生まれたバルセロナ・チェアも、モダンデザインの代表作として広く愛用されています。>>バルセロナ・パビリオンについて別記事で詳しく解説しています。
- ファンズワース邸: ファンズワース邸は、1950年にアメリカイリノイ州に建てられた週末別荘で、四方をガラスの壁で囲んだ箱型の建物です。この建物は、ミース・ファン・デル・ローエが提唱した「ユニヴァーサル・スペース」という概念を具現化し、自由に使える空間と自然との融合を実現しました。建設における予算争いも話題になり、ミース・ファン・デル・ローエが勝訴しました。
- シーグラム・ビルディング: シーグラム・ビルディングは、1958年にニューヨークに竣工した超高層ビルで、鋼鉄のラーメン構造と青銅色のガラスで構成されています。この建物は、ミース・ファン・デル・ローエが建物の前面に広場を設け、公共空間としても機能させたことで、建物の存在感を高めました。そのデザインは、後の超高層ビルに大きな影響を与えた「インターナショナルスタイル」の代表例となりました。
建築の特徴
ミース・ファンデルローエの建築は、モダニズム建築の中でも特に「国際様式」と呼ばれるもので、機能主義と最小主義を重視したデザインが特徴です。彼の有名な言葉に「Less is more(より少ないことは、より豊かなこと)」や「God is in the detail(神は細部に宿る)」があり、これらは彼の建築哲学を象徴しています。ミース・ファンデルローエは、シンプルで洗練されたデザインを通じて、空間の本質を追求しました。
まとめ
この記事を通じて、ミース・ファンデルローエの建築とその影響力についての理解が深まれば幸いです。彼の作品は今日でも多くの建築家に影響を与え続け、モダニズム建築の理解には欠かせない存在です。興味を持たれた方は、ぜひ彼の作品を実際に訪れてみてください。モダニズム建築の魅力を探求し、彼の建築哲学に触れることで、新たな視点を見つけることができるでしょう。
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