ユハ・レイヴィスカ(Juha Leiviskä)は、フィンランドを代表する建築家の一人です。教会や宗教建築を中心に、光と音楽の感性を生かした独自の作品を数多く手がけました。彼の建築は、不朽でありながらも親密で、人間的でありながらも普遍的です。この記事では、彼の生涯、代表作、建築の特徴について紹介します。
生涯
ユハ・レイヴィスカは、1936年3月17日にヘルシンキで生まれました。父親は技師、母親は教師でした。幼少期から音楽に親しみ、ピアニストになることを夢見ていましたが、建築にも興味を持ちました。彼はヘルシンキ工科大学で建築を学び、1963年に建築家としての資格を得ました。1964年に自身の事務所を開き、同時にヘルシンキ工科大学で助手として教えました。1960年代には、バーテル・サアーニオと協働してコウヴォラ・タウンホール(1968)を設計し、フィンランドの公共建築の傑作として評価されました。
1970年代から1990年代にかけては、フィンランド各地の教会建築で世界的な名声を得ました。彼はまた、教会に不可欠な照明器具も自らデザインし、アルテック社から商品化されました。
2000年代以降も、教会以外の建築にも取り組みました。ドイツ大使館(1995)、ベツレヘムのアダ文化・会議場センター(2005)、ヘルシンキのスウェーデン社会科学大学(2009)などがその例です。彼の建築は、場所や歴史、文化、自然との対話を重視し、建築の永遠の価値を追求しました。2023年11月9日にヘルシンキで亡くなりました。87歳でした。
代表作
ユハ・レイヴィスカの代表作として、以下のものが挙げられます。
- コウヴォラ・タウンホール(Kouvola Town Hall,1968)
ベルテル・サアーニオと協力して生まれた建物です。この建物は、1960年代のフィンランドの公共建築の中でも際立った存在で、白いコンクリートの壁とガラスのファサードが特徴的です。内部には、円形の議場や中庭があります。 - ミュールマキ教会(Myyrmaki Church,1984)は、ヴァンターに位置し、レイヴィスカの教会建築の代表的な作品の一つです。特徴的な並行する自立壁によって空間が分けられ、自然光が劇的な演出をします。建物内では、建築家自身がデザインした照明器具やオルガンも見ることができます。
- マニスト教会(Mannisto church,1992)は、クオピオにあり、レイヴィスカの教会建築の素晴らしい例の一つです。白い壁と木製の屋根が特徴で、内部にも建築家のデザインによる照明器具やオルガンがあります。自然光が美しい空間を照らし、音楽との調和を感じさせます。
- 善き牧者の教会(Church of the Good Shepherd,2002)
ヘルシンキのパキラに位置し、1950年代に建てられた教会に新たな祭壇を設計しています。祭壇の背後には、建築家がデザインした照明器具と、マルック・パーカネンが制作した「ガブリエルの翼」というプリズムのインスタレーションがあります。 - アダ文化・会議場センター(Ad-Dar Cultural and Conference Center,2005)
パレスチナのベツレヘムにある文化施設で、レイヴィスカの海外での作品の一つです。地元の石材を使用した壁と、木製の格子状のファサードが特徴で、内部には劇場や展示室、図書館などがあります。
建築の特徴
レイヴィスカは、光や音楽に深い愛着を持っていました。建物をデザインする際には、光を特に大切にし、空間にリズムやバランスをもたらすように考えました。また、彼は音楽の才能も持ち、オルガンや照明器具などを自らデザインしました。彼にとって、建築は見るだけでなく、聞くことも重要な要素でした。
建築と場所、歴史、文化との対話も彼にとって大切でした。彼は建築がその地域の特性や歴史、文化、そして自然との調和を追求すべきだと信じていました。彼はフィンランドの伝統や風土、北欧の建築家たちからインスピレーションを受けながら、独自の建築スタイルを築きました。
また、レイヴィスカはシンプルで普遍的な形を好みました。彼は白い壁やガラス、木材などの素材を使って、シンプルで幾何学的なデザインを追求しました。彼は建築のスタイルよりも、その建物が持つ本質に重点を置いていました。
まとめ
彼の作品はシンプルでありながらも普遍的な美しさを持ち、見る者の心を魅了します。
ユハ・レイヴィスカの建築は、彼が生前に残した偉大な遺産であり、今後も世界中の建築家や愛好家によって称賛され続けるでしょう。
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